そもそもなぜ大学院に通おうと思ったか
小学校で英語を教え始めて、5年目。
現在、日本では小学校英語の教科書はありません。(まだ教科ではないため)
なので、どこから手をつけてよいかわからず、とりあえず前任者が使っていた教材を
そのまま使うことにしました。
最初は、小学生の実態を知らずに、中学生と同じように授業をやっていました。
同じような要領で、きっと子どもたちはついてくるだろうと予想して。
表面上は、子ども達は一生懸命頑張って声を出して、練習していて、
順調に見えました。中学校を教える要領で、たくさん練習したので、いざ確認テストをやってみると愕然。。
あれ、全然書けてない。。。
そこで、ようやく気づきました。
この子たちは中学生じゃない、小学生なんだ。
英語を書くということの認知的、身体的なハードルの高さ。(パッと見て写せない子もいるし、枠の中に入りきらない子もいる)
そもそもスペルから音を推測できていな実態。(Input量の不足と音素認識の欠如)
男の子と女の子の異なる学習スタイル。(男の子の扱い謎すぎる)
中には、学習障害を抱えている子もいるので、ユニバーサルデザインの授業の必要性。
今のままでは、これらの問題に対応できる引き出しが足りないので、
がむしゃらに手当たり次第、ワークショップやら研修やら授業見学に参加しました。
すぐに小学校教員免許も取得しました。(まさか音楽とか体育の模擬授業テストがあるとは!)
ちょっとずつではありますが、小学生の特性がわかってきて、
小学生ならではの授業が展開できるようになってきたと思います。
そして、数多くワークショップに参加する中で、気づいたことが一つ。
「ん?みんなやっていることが全然違うぞ。方やパターン練習が中心、方や
歌や絵本が中心、方や文法練習が中心・・・どれが一番適切な指導なの?!」
すべての共通していたのは「理論の欠如」でした。
この仕事を数年していると、なんとなーく授業の展開の仕方がパターン化されてきて、
なんとなーく子ども達との信頼関係で授業が成立して、なんとなーく面白い小話とかで
子どもを惹きつけて…(もちろんそうではない方もたくさんいらっしゃいますが)
この「なんとなーく」の成功体験の積み重ねで、いけてしまうのではないか。
でも、それってベストな方法とは限らないのではないか、
このまま教員年数だけ重ねていくのは危険だ!と感じました。
大学で理論をかじりましたが、あの時はその場しのぎの学習で、今となってはそれすらも都合よく解釈している自分がいて、改めて、理論を一から学ぶ必要性を切に感じました。
特に、小学校英語に関しては、これから教科化して本格的に始動するので、
自分の経験や得た知識が少しでも役に立てたらなという思いで、
大学院に行くことを決心しました。
まだ前期が終了した段階ですが、すでに行ってよかったなと心から思います。
前期は知らない世界が広すぎて、食らいついていくだけで必死でしたが、
これからは学んだことを少しずつ実践に活かしていきたいです!!